旧観慶丸商店

【レポート】「Continues As Hope」トーク 土井波音×ちばふみ枝

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旧観慶丸商店のショーウィンドウで開催したアーティスト土井波音さんの展示「Continues As Hope」に合わせて、3月31日にトークイベントを開催しました。
ゲストには石巻のキワマリ荘でアートスペース「mado-beya」を運営するアーティストのちばふみ枝さんを迎え、作品のコンセプトを軸に二人の思考を巡る場となりました。

同じギャラリー「石巻のキワマリ荘」に所属し、襖を挟んで隣同士のアートスペースをもつ二人がどのように過去の経験を受け止め、実践へと結んでいるのか。
当日のトークの様子をレポートとしてお届けします。「Continues As Hope」の展示コンセプトとともに、ぜひご覧ください。


Continues As Hope|旧観慶丸商店|2022年

「Continues As Hope」コンセプト
私の不安はどこからきているのだろうか。幸せであればあるほど不安になっていくのはなぜか。そんな気持ちを漠然と抱えて生活している何気ない日常で、キッチンの窓際に寄せられた、割れてしまったグラスを見てふとアイディアが浮かびました。
壊れて、消えて、失われていく恐怖は、大切なものを抱え続けていくなかで切り離すことはできません。それでも、大切なものを、人を、記憶や思いを、それらの恐怖もろとも抱えながら続けていくことを決心する。その意志を、壊れてしまったものたちを金で継ぎながら、個人的な記憶と共に辿る作品となりました。

【土井波音×ちばふみ枝 トークレポート】


土井波音さん(左)と ちばふみ枝さん(右)

所有と喪失、永遠を望む葛藤
幼少期からものが捨てられなくて母親によく叱られていたという土井さん。
自分にとって不必要なものでも愛着が湧いて捨てられなくなってしまうという性格を省みて、それはものが壊れて使えなくなる恐怖とは異なり、ものが自分の手元から離れてしまうことへの不安なのだと語ります。「使わないし本当にいらないものなのに、どうしても捨てられない」というコンプレックスをこれまでずっと抱えてきました。

それと同時に、家族と離れて暮らすことに対しても、365日のうち何日一緒にいられるかを考えてしまい、家を離れたくなくなってしまうそうです。実家を離れて生活を始めてからは毎日実家に顔を出さないと気が済まず、それが自分の中でものが捨てられない感覚と一致していると振り返ります。捨てられないものを改めて見ていくと、父親からもらったプレゼントの包装紙や母親が買ったものであったりして、誰がくれたか、どこでもらってきたか、というのもその要素として密接に関わってきているといいます。

19歳の時、大竹伸朗のスクラップブックを用いた作品と出会い、土井さんも捨てられないゴミだけをスクラップしていくスケッチブックを作り始めました。そこで、ゴミをゴミとして扱わなくていい感覚に安心するとともに、自分がストックしてきた捨てられないものたちをいつか作品にしたいという思考の転換が生まれます。今回の展示で使われている津波の泥に浸かった写真や壊れた靴、破れたワンピースは、そうして取っておいたものでした。

また、愛着の湧いているものを安全なところに置いておきたいという観念はものだけではなく、家族にも及んでいると続けます。愛犬の死や震災で失くしたものはすっと受け入れられたのに、親が自分よりも先に死んでしまう未来を想像して不安に駆られる。永遠を望むことはタブーであるとわかっているのに、自然の摂理に逆らって、絶対にいつまでも健やかに生きてほしいと願ってしまう。まだ失っていないのに失うことを憂慮し、身体や物質の有限性を受け入れられない自分に対しても不安の矛先が向いていく。
そういう自然の摂理に何かと抗ってしまう自分をどうすれば受け入れられるのだろうという問いを発端として、「Continues As Hope」が展開されています。

作品の中央には金で継がれたワイングラスが置かれ、そこが起点となって、4面の壁に写し出された作家自身の記憶へと金が伸びています。
捨てられずにキッチンの窓際に佇んでいた割れたグラスが、ふと視界に映った時、もう使えるようにはならなくても、どうにか続かせてみようという気持ちが生まれた。大切なものがいつか失われてしまうことにただ怯えるのではなく、失われる不安を抱えたまま、その時が来るまで喪失を受け入れずに抗い続ける意志を肯定すること。壊れたものたちを金で繋ぐことで、その抗う意志を希望として続けていく様を表しているといいます。


金継ぎを施したワイングラスをコンセプトの軸とし、ショーウィンドウに合わせた4つの壁面には2011年から現在に至るまでの記憶のタイムラインを写しています。
震災の泥に浸かった靴と写真が貼られている面は2011年から2016年まで、破れた服とモニターのある面は2016年から2019年の間に住んでいたロンドンでの記憶と重なるものを。犬の絵が一際目立つ右端の壁には、2019年から2020年に愛犬の死を受けて考えた作品のアイディアがペインティングで描かれ、最後に、過去の記憶を現在から辿る象徴としてグラスと写真が置かれています。

「Continues As Hope」のタイトルが示すように、希望としての意志を繋いでいく、続けていくことが土井さんの中で重要であるといいます。存在が実際に続いていくかどうかは正直どちらでも構わないけれど、有限である事物を自然の摂理としてそのまま受け入れようとすることだけでなく、抵抗を続けていくことも希望として認めてあげられるような表現がしたかったと作品を振り返っています。


旧観慶丸商店

また、トークの中で度々語られた「失われていく不安を抱えながら続けていく選択」は、会場となった旧観慶丸の背景とも重なります。1930年に建てられてから現在に至るまで、この街で暮らす人々に寄り添って親しまれてきました。90年以上の歴史の中で劣化や被災の影響をその身体に刻みながら、その度に修繕や補強を繰り返して現在まで維持されています。その様相が土井さんにとっての希望–有限性に対する抵抗–として存在していると語られていたことが強く印象に残っています。

「海とカモシカ」と彫刻作品

土井さんとは対照的に、失ったことを受け入れることで自分の希望を見出していると語るちばさん。
失うまで抗い続けるという土井さんとは異なる時間軸で喪失を知覚していることに触れながら、ちばさんの写真作品シリーズ「海とカモシカ」へと話題が移ります。

 
海とカモシカ|撮影:2019年|「海とカモシカ 01」収録(2020年発行)

「海とカモシカ」の被写体となっているのは、震災で津波に浸かってしまった実家の家財道具たち。明らかに使えないものは震災後すぐに処分したものの、ヘドロのない綺麗な水に洗い流され、砂を被ったまま残されていたものも多かったそうです。
再び本腰を入れて整理を始めたのが震災から8年ほど経った2019年で、改めて見ると捨てなければならないほど深刻なダメージを受けていたものも多くありました。土井さんと同様、もともと物が捨てられないという性格のちばさんは以前から思い入れの強いものをコラージュ作品として保存することもあったといいますが、これらの家財道具の処分に用いた手段は、写真として記録していく選択でした。


海とカモシカ|撮影:2020年|「海とカモシカ 02」収録(2021年発行)

用を成さないものでも所有し続けることで満足していたいという気持ちを抱えながら、際限のない物量と飾り直せないほど汚れてしまっている家財の状況を踏まえ、捨てるために撮ることを決意したと話します。
当初は作品として見せることは意識していなかったそうですが、2020年から翌年にかけて3種類のZINEを刊行しており、周囲の反響もあって2021年4月には展示「海とカモシカ 写真展」も自身のアートスペース「mado-beya」にて開催しています。


「海とカモシカ」シリーズ ZINE3冊|2020-2021年発行

ちばさんは被災した家財道具の撮影を行う過程で、それらのものと自分との関係性について思いを巡らせていました。すでに機能を有していないがまだ確かに存在しているそれらを、果たして喪失したとみなしてしまっていいのか。それでも、撮影というお別れの儀式を経ることで、有耶無耶なまま放置したり抱え続けていた自分の感情と改めて向き合うことができたといいます。
自身の心情の変化を振り返り、「”過去”の自分とものの関係が記憶として継続したままものに宿っていることが、過去の思い出の品を捨てられない要因になる。自身のそれらの記憶を作品にしていく中で、”今”の自分とものとの新しい関係を結ぶことで昇華できていくのかも」とまとめながら、今回の土井さんの作品についても同様の変遷があったのではないかと語っています。

土井さんはこれまでも、強い愛着を抱く所有物や思い出を作品のコンセプトに取り入れて制作することが多かったそうです。その際に、記憶を整理してものを捨てられるようにするのではなく、捨てなくて済むように、周囲を納得させる理由として作品を制作することを意図しているといいます。しかし、その意図とは裏腹に、作品が完成した後はそれらのものへの愛着が途端に冷めてしまうと語っていたのが特徴的でした。
「誰がくれた」「どこでもらった」という印象が残り捨てられなかったものが、捨ててもいい自分のものへと変化していく様を「昇格していく」という言葉で表現していたことや、過去作品は処分して残っていないということが土井さんの姿勢を明確に表しています。


個展「遠い庭」展示会場|GALVANIZE gallery|2020年

ちばさんの象徴的な作品である彫刻のモチーフには、自分の記憶の風景、特に生活の中で気になった身の回りのものが取り入れられています。そこには、家族との暮らしの風景や自身が置かれている状況など、自分が望む前から当たり前のように受け取ってきたものが多くあり、それを今の視点から見つめることで受け取り直したいという前向きな意思が込められています。

ちばさんの作品に現れる形態やモチーフに選ばれるものが、自分自身ではなく周囲にあるものを扱っていることに対し、「自分や他者など、コンセプトの中心になるものを作品として直接表現したいと思うことはないのか?」と土井さんから問いが投げかけられます。
「人間にとって一番身近でわからない他者が自分である」と考えるちばさんは、過去の記憶を受け入れ直すことが自分を彫ることと同質であるとし、現在進行形で生きている自身を表現する上で身の周りのものや環境が視覚的に彫刻作品として表出されていると回答します。
鑑賞者に対しては、生身の人間として彫刻作品の前に立ったとき、その場の環境を体験したり、その彫刻作品との関係性を体感してほしいと語っていました。


くすんだベール|2021年

ちばさんの彫刻はカーテンのような柔らかい素材を木質の板に彫り出しており、柔らかさと硬さという全く異なる質感を併せもつ印象が強かったという土井さん。一方で、その彫刻作品が周囲の環境そのものではなくちばさん自身の内面を表現しているようにも感じられたことから、作品が持つ二面性についての関心も抱いていました。
ちばさんの作品の形式的な特徴として、「くすんだベール」の造形からもわかるように、レリーフ状の板を紐で連結することで自立した彫刻を作っています。ちばさんは、そうすることで作品の持つ仮設性や可動性を意識させ、また、彫刻の表裏や上下左右への意識をあえて強調することで、人間と同様に作品が多面的な存在であることを表現しているといいます。その上で、テーマとなるものごとと向き合う過程で、そのモチーフ自体が自分の内面を反映するものになっているのではないかと振り返っています。

「Continues As Hope」の振り返りと今後の制作について


廻るへや|momo|2021年|photo:鹿野颯斗

これまで制作した作品でも、サウンド・インスタレーションという表現形態が中心となっていた土井さん。今回の展示場所であるショーウィンドウの性質上、作品に音を取り入れられないことに不安を抱えていたことや、過去の展示でなかなかイメージを空間に落とし込むことができてこなかったことを振り返りながら、今回の「Continues As Hope」では納得のいく形で展示を完成させることができたと安堵している様子が見受けられました。その上で、コンセプトに据えた「物の所有と喪失に対する感覚」というのは、あくまで現状の自分が抱いている限定的なものであると括り、今後また同じような作品を作ろうと考えた時には変わってくるだろうと見越しています。

また、ちばさんの目に映った「Continues As Hope」は、バランス感覚の良い構成で作られている展示として捉えられていました。土井さんの不安な感情が混沌のように表出しているのではなく、思考が作品に冷静に表現されている。泥を被った写真はその表面にペインティングが施されているようにも見え、金の糸でほころびを繕ったワンピースは可愛い装飾としてのデザインのようでもあり、一見するとおしゃれなショーウィンドウそのもののような見やすさがある。ところが、欠けたグラスから金で繋がれている部分を辿っていくことで、実は被災した写真であることや壊れてしまったものの背景が見えてくる。そこからどんどん作品が意図することへと思考が巡り、引き込まれていく感覚を覚えたそうです。


反対に、土井さんから見たこれまでのちばさんの作品は、自分の内側へと還っていくような記憶を外側の視点で作っているように映っていました。扱ってる内容は内側に向いているけれど、その矢印が最終的には外側に向いた状態で表現できているため、冷静さやあたたかさ、内と外の二面性が感じ取れると語ります。
土井さんは自分のことを作品にする上で、どうしても内面にのめり込んでしまい外側への意識が欠けた作品になってしまうという課題を抱えていたようで、隣のスペースで活動するちばさんの作品を通じて、その実践が見れるのはとてもいい機会になっているようです。

また、今回のトークで大きく取り上げられたゴミの話題から、アートスペース「momo」の部屋を以前「おやすみ帝国」として使っていたアーティストのミシオさんの話にも触れられていました。
土井さんはロンドンの大学に通っていた際に、路上を転がっていたり木に引っかかってふわふわと浮いているゴミ袋を写真に撮り溜めていたそうです。外国で一人ぼっちで、制作した作品に誰も見向きもしてくれないという当時の境遇が、道端に存在するビニール袋と重なって見えていたといいます。誰にも注目されないゴミ袋が当てもなく漂い続けるように、自分が抱えている悲しみや怒り、やるせない気持ちは絶対に消えることがなく存在し続けると考え、作品も制作していました。
その後石巻に戻り石巻のキワマリ荘へ加わった際に、図らずもミシオさんが「おやすみ帝国」で、ゴミに顔を描くという作品を制作していたことを知り、そういった偶然の一致を感じて面白かったと語っていました。


What Do You Leave Here|卒業制作展示|2019年

土井さんはこれまでゴミ以外でも愛着があるものでずっと制作を行ってきたため、今後は既存のオブジェクトを再利用して発展させていくような形式ではなく、色々な素材を用いて物を一から作るという手法も試していきたいという話も伺えました。

今回の「Continues As Hope」は公開が終了しましたが、それぞれのスペースでの展示はご覧いただけますので、そちらにもぜひ足をお運びください。

土井波音 / Namine Doi
1997年石巻市生まれ。石巻のキワマリ荘2F「momo」代表。
2019年、ロンドンのUniversity of the Arts London Foundation Diploma 修了後、石巻に戻り現代美術・音楽分野での活動を続けている。個々としての人間の在り方や、それに関わる世界について、自らの実体験を元に実験的な作品を制作する。
4月17日(日)まで「momo」にて平野将麻との二人展「Yin-Yang」を開催中。
https://www.kiwamarisou.art/2022/02/yin-yang.html

ちばふみ枝 / Fumie Chiba
1981年石巻市生まれ。
2006年に武蔵野美術大学大学院造形研究科美術専攻彫刻コースを修了した後、都内で活動を続けていたが、東日本大震災を機に石巻市へ戻り、現在は石巻のキワマリ荘2Fでアートスペース「mado-beya」を運営している。レリーフを自立させる手法で彫刻作品を制作する傍ら、津波で被災した実家の手入れを2019年より再開し、その記録写真を『海とカモシカ』シリーズとして展開している。
5月29日(日)まで「mado-beya」にて伊東卓 写真展「光の穴」を開催中。
https://www.fumie-chiba.com/post/mado-beya_kikaku9-hikarinoana?fbclid=IwAR0qyrTLfpr2_5Ez7KCk9DodbtwVl6llBbbe-IOXK0B_1-cVtgyAwGXD4BI

文章: 花田悠樹