旧観慶丸商店

旧観慶丸商店について

旧観慶丸商店について

旧観慶丸商店について
旧観慶丸商店上棟式 観慶丸本店提供

ふりかえればいつもここに

短いサイクルで災害に幾度も見舞われ、その度に立ち上がってきた石巻。
破壊されても、そこからは新しくなにかを生み出そうとする小さな挑戦の芽が幾度も生まれました。
多様な文化が混ざり合い発展した湊町の石巻。
ひとりの青年の夢によって誕生し、そこからまちに寄り添い、震災にも耐えた旧観慶丸商店で小さな挑戦を行うこと。
それはこの街に根付いた空気感の継承となります。

石巻ではじめての百貨店であり、まちなかのシンボル的な存在として、
90年間変わらず石巻の風景をそっと見守ってきた旧観慶丸商店は、
今、多様な挑戦の受け皿となり、石巻の文化の発展に貢献するべく
"文化の百貨店"として新たに歩み始めています。

文化の百貨店

かつて「百貨店」は、文化の担い手であり、
美術、工芸、出版、食など、市民が文化に触れることのできる刺激的な場でした。
観慶丸商店もまさにその役割を果たしていました。
当時38歳だった須田幸一郎が夢を抱いて、建設した石巻初の百貨店は、
常に注目され大盛況で、観慶丸商店に行って買い物をしたり、食事をしたりすることが時の大きな楽しみの1つだったといいます。
また、東京など遠方から来る人にとっても石巻の銘産品を知る貴重な場でもありました。
現在は「百貨店」という機能はありませんが、かつての百貨店のように、子供から大人まで様々な世代の人々が交流し、
共有してきた場所として、観慶丸商店が持つ、歴史、記憶、創建者の志を運営の柱としたいと考えます。

旧観慶丸商店のあゆみ

1742年(寛保2年)〜
葛飾北斎「富嶽三十六景 上総の海路」
千石船時代から観慶丸商店へ

店名である「観慶丸商店」は、創業者が船頭として乗っていた千石船の名「観慶丸」に由来しています。

千石船は本来、米を千石積むことのできる船を千石船と呼んでいましたが、江戸時代になると、積石数にかかわらず、大型廻船のことを指すようになりました。

江戸時代、石巻は東北最大の移出港として賑わっており、石巻の千石船は、主に本石米(本穀米)と呼ばれた仙台藩の米を江戸に送るために運用され、米のほかに大豆、荒銅、木材、魚粕、海草などの海産物も運搬。江戸からの往路では呉服、太物(木綿)、古手(古着)、繰綿(綿の原料)、薬種(薬・お茶・砂糖など)、小間物(陶磁器含む)などを運んで帰りました。

観慶丸は、廻船業を営む旧門脇村の武山家の廻船(千石船)の名前の1つで、寛保2年(1742)にはすでに船名が記録に残されています。その後何度も作り変えられながらも明治初期まで武山家の持ち船の船名としてその名を残し、武山家の廻船業での繁栄を支えました。

少なくとも文化12年(1815)から安政元年(1855)までの40年余りの間、初代須田幸助(1799~1879)が武山家の沖船頭(雇われ船頭)として主に観慶丸に乗船。長く武山家に重用され、主に江戸方面を中心に、記録に残されているだけでも100回以上航海したと推測されます。

幸助は船頭として江戸との間を行き来するかたわら、須田屋として帆待ち荷物(船頭に裁量として許されていた積荷)で商売を始めます。

やがて船を降り、須田屋は陶器業で成功。やがて店の名前にゆかりのある「観慶丸」の名を使い「観慶丸商店」として代々商売を続けました。

1930年(昭和5年)〜
石巻物産陳列所[橋本晶/石垣宏 著、国書刊行会、ふるさとの想い出写真集38 明治大正昭和石巻 より転載]
百貨店時代

裏町(現在のアイトピア通り)で観慶丸商店を営んでいた須田幸一郎は、昭和5年(1930)に現在の地に旧観慶丸商店を建設しました。

観慶丸陶器店・石巻物産陳列所として開館し、やがて洋品やレコードまで様々な商品を販売。三階には食堂も作られ、石巻初の百貨店として賑わいました。

1939年(昭和14年)〜
陶器店時代の旧観慶丸商店 石巻市提供
陶器店時代

昭和14年(1939)、幸一郎が観慶丸商店を弟・光夫にまかせ、裏町(現・中央二丁目)で観慶丸百貨店を新築。この時に観慶丸商店は陶器専業となりました。

終戦後、光夫の「観慶丸商店」と幸一郎の「観慶丸本店(観慶丸百貨店)」は経営を分離。以降東日本大震災直前まで、観慶丸商店は光夫から須田幸夫そして昌夫と引き継がれ、陶器店として約70年間営業を続けました。

2011年(平成23年)
震災時 石巻市提供
震災時

平成23年(2011)3月11日、東日本大震災が発生。旧観慶丸商店の建物は、津波で1階はほぼ浸水しましたが、建物の倒壊は免れました。

2013年(平成25年)〜
震災後

平成25年(2013)10月に旧観慶丸商店の建物が経営者から石巻市に寄贈され、災害復旧工事等を経て平成27年(2015)10月に石巻市が指定文化財に指定。

平成29年(2017)4月開館し、11月に石巻の歴史・文化についての展示施設と文化交流のための貸しスペースを併設した芸術文化発信拠点として運営開始しました。

平成30年(2018)4月より指定管理者である一般社団法人ISHINOMAKI2.0が管理運営を行い、2階展示スペースの企画は、市教育委員会が行なっております。

ユニークな近代建築 旧観慶丸商店

建物は木造3階建て(一部2階建て)の店舗兼用住宅です。
東側一区画のみ2階建てで、バルコニーとしていましたが、のちに屋根を架け食堂として使用されました。
店舗部の北東側奥に住居部が伸び、店舗部の北面と住居部の西面が窓もなくモルタルで塗り込まれています。
木造三階建でありながら、外壁全面を多種多様なタイルで覆い、スペイン瓦や丸窓、アーチ窓を有する外観は洋風建築を思わせます。
タイルの見本帖と言われるほどの様々なタイルは幸一郎が陶器商人として各地から集めたものと言われ、その種類は100以上にものぼります。
角地の立地を生かした外観がそのまま広告となる「看板建築」となっており、長く市民に親しまれ、その姿は港町・石巻の繁栄の象徴として、石巻の歴史を物語る貴重な建造物です。